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パウロは言った。

「この本は、私のほかの本とはあきらかに違う本だ」

彼はエジプトにある、ピラミッドの見えるホテルでこの物語を書き上げた。構成なんて考えなかった。たった2週間。まるで空から降りてきた言葉を、そのまま手もとに繋ぎとめるようにして、この物語は出来上がった。

僕がこの話を聞いたのは、僕がこの物語を大切にするようになった、ずっと後のことだった。

本好きな人なら、誰にでも、一生そばに置きたい本が必ず一冊はあると思う。僕はこの本だった。よく「あの本を読んで、人生が変わりました」なんてことを人は言うが、僕にとっては、“この本が”僕の人生を変えた。

本を読んだ“僕が”変わったんじゃない。この“本が”、僕と、僕の人生を違うものにした。いや、きっとこれは僕だけの体験じゃない。稀に、そういう本があるのだ。それ自体に「力」のある本があって、ただの一冊の本が、人や、時代を変えるということが稀にあるのだ。もう10年以上読んできたが、この「アルケミスト」も間違いなくそういう本だ。

僕がこの本を初めて読んだのは、たぶん15歳くらいの、高校を中退したあたりだったと思う。

そう。僕は高校を中退した。学校生活の不自然さに嫌気が差し、通いはじめた1ヶ月で高校を辞めた。辞めてさっぱりするかと思ったが、世界はそんなに甘くなかった。そこから僕の暗い生活がはじまった。

僕は引きこもりのようになった。遊びに来る友達も少なく、僕はひとりの時間を過ごすのが次第にうまくなっていった。ひとりでいろいろ考えごとをし、本もいっぱい読んだ。そんなとき、偶然この本を手にとった。

200ページに満たないこの本を、僕は1日もかけずに、さらっと読んだ。面白いと思った。けど、最初の感想はそんなもんで、そのとき本棚に置いたきり、僕はすっかりその本のことを忘れてしまった。そして、1年が過ぎた・・・・・・ある日だった。

小学校からの友達が遊びにきて「面白い本が読みたいんだけど」と言ってきた。僕は本棚をぼんやり見た。「面白い本はいっぱいあるけど、この中から、なにを一冊を選んだら・・・・・・」と、そのとき、ふと目が合ったのが「アルケミスト」だった。

「この本なんか、読みやすくて面白いよ」と、僕はすこし遠慮気味に、この本を彼に渡した。彼は「ふーん・・・・・・」と言ったきり、その場で「アルケミスト」を開いて座り込んだ。

それから2時間ほどの時間が過ぎ、ふと友達を見ると、彼はちょうど最後のページを閉じようとしていた。「読むの早いなあ」と、そう僕が聞こえるようにつぶやくと、彼は僕のほうに顔をあげた。

その瞬間だった。彼の目が変わって見えた。

彼は、2時間前となにかが違った。僕は思わず、どきっとした。

「ありがとう」と彼は言った。僕はショックだった。彼がこんな素直になってるのを、僕は初めて見ていた。一体彼は、この本からなにを受けたのかと思った。悔しかった。もしこの本に、彼を変えたなにかがあるなら、僕もそれを見つけたいと思った。

それから、その友達は・・・・・・まるで、この本の少年のように自分の夢へと走っていった。そして同級生の誰よりもはやく、その夢を叶えた。

彼が帰ってから、僕はもう一度「アルケミスト」を読もうとした。すると、一年前に気付かなかった、たくさんの美しい言葉がそこには書かれていた。

僕は、ことあるごとにこの本を読むようになった。しかし、不思議なことに、何度読んでも前回と同じ本を読んでるという気がしなかった。読むたびに、僕は新しい発見をした。引きこもることをやめ、自分の人生が明るくなりはじめてからは「ここに、こんなことが書いてたのか」と、読むたびに胸が熱くなった。そして、新しい夢も、この本から見つけた。

「いつか、この本に書いてることが、すべて分かるようになりたい」

僕のなかに、いつしかこの物語の「少年」が生きていた。僕は何年も旅をした。そして、この本でいう「前兆」ということが分かるようになった。退屈だった人生に不思議な偶然が起こりはじめ、「前兆のことば」を無視しなければ、本当に、運命が僕を導いてくれるのだと分かった。

「なんだ、大事なことは、書かれてないところにあった」と、あるとき、はっと理解した。よくこの本を「言葉の宝箱だ」なんて言う人がいるが、その人は、きっとこの本を理解していない。“この言葉を美しいと思う自分”に、酔ってるだけだ。この本は、読む本ではなく、付き合う本なのだ。

付き合って、その美しい言葉の生まれる“場所”が想像できるようになって、はじめて、この本の理解が始まるのだ。「大いなる魂」や「マクトゥーブ」といった言葉も、「前兆」も「王様」も、すべて、その“場所”を言葉にしたものなのである。

15歳の僕が、本棚の「アルケミスト」と目が合ったときも、実は僕のそばには「王様」がいたのだ。「前兆」が僕に本を選ばせたのだ。そして、その「宇宙のことば」は、僕の生まれる前から、死んだ後までも、ずっとずっと続いていく。

僕だけじゃない。誰のそばにも、常に「王様」はそこにいるのだ。そして、その「前兆」と一緒に、僕たちは運命と未来を生きていく。たとえ「前兆のことば」を無視して生きても、きっと僕たちは同じ未来を生きる。ただ、「前兆」と一緒に生きるとき、僕たちは、どんなつらい目に遭おうと、その瞬間の人生を愛することが出来る。

「前兆のことば」に耳を傾けることで、僕たちは愛を知るのだ。すべての愛は、「大いなる魂」や「マクトゥーブ」と言葉にされる、その“場所”でしか見つからない。同じ出来事でも、それを幸せに思う人と、不幸に思う人がいるのは、その「前兆のことば」を聞いてるかどうかによる。

そして、まさにそれが錬金術師の仕事なのだ。錬金術師は、不純なものを純粋なものに進化させるが、それは鉛を黄金に変えるだけではない。いまの鉛のような人生が、実は、愛と幸せという黄金に満ちたものだったと気付くのが、錬金術師の仕事なのだ。錬金術師にとっては、いまあるものが、そのままで金なのだ。

しかし、この本を読んで、実際に宝物を見つけた人が、一体どれだけいるのだろう?

この本を言葉だけで読んだ人は、きっとなにも理解せぬまま、世界をぶらぶら旅したのだろう。「外の世界にこそ、自分を変えてくれる何かがある」と、世界中を写真におさめたことだろう。

けど、この本には、そんなことは書いてない。

僕が、一度読んだきり、この本を本棚に寝かせ続けていたように、宝物は、実は寝ぼけた僕たちのすぐそばにある。いまここにある「前兆」と一緒に、「あなたの涙が落ちた場所に、宝物はある」と言ってるのだ。誰のそばにも、忘れ去られた宝物がきっとあると言ってるのだ。

錬金術師になるとは、そういうことなのだ。鉛の声を聞け。鉛の運命を聞け。運命を聞くことは「前兆のことば」を聞くことだ。前兆と一緒にいるなら、僕たちは、いまこのときも愛のなかにいる。

この本には「力」がある。その「力」によって、この先も、ひとりでも多くの錬金術師が生まれるよう、祈る。

文:岡野政嗣

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