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この本を読んで20年がたつ。早いものだ。著者ピーター・ラッセルの前作『グローバル・ブレイン』を読んでいたので、すぐにこちらも読んだ。当時はこの二作の内容がとても似ているとしか思えなかった。20年ぶりに再読してやっと理解した気がする。なぜピーター・ラッセルは似た内容の本を二度書かなければならなかったのか。

視点が違うんだ。

グローバル・ブレインでは「地球」や「宇宙」が、自分から離れて独自に進化しているモノのように感じられる。もちろん心の進化についても書かれているのだが、そのことと地球や宇宙のリンクは薄い。だからとても理解がしやすい。普段僕たちは物事をそのように考えているから。「宇宙は宇宙」「地球は地球」「私は私」。当たり前のこととして生きている。しかし、『ホワイトホール・イン・タイム』は事情が少し違う。この世界を存在させている私自身が大きな問題となっている。そのため心がいったいどういうものかに紙幅を割いている。そして、普段私たちが考えないことを考えるように促す。「愛とは何か?」「いま私はどこにいるのか?」「時間とは何か?」。これらの答えは与えられるが、その答えの中に入っていくかどうか、その答えがもたらす世界、価値観、そして心の進化をどう受け止めるのか? それが試されるようになっている。

たとえば身体は、それぞれの細胞が別々に活動しているが、うっすらと関係も持っている。それらの関係をすべて記述していけばきっと膨大なものになるだろう。そして、その膨大な関係をすべて追おうとすると無理が生じる。すべての関係はその一瞬にしかないからだ。次の瞬間には別の関係が生まれてくるだろう。宇宙と私の関係もこれに似ているのではないか? このような内的視点・宇宙的視点に立とうとしながら書いたのが『ホワイトホール・イン・タイム』なのではないかと思う。

僕たちは言葉を使う。そのおかげで様々な気づきが得られるが、言葉によって制限されていることもある。たとえば、美しい景色は言葉でどのように表現しても正確には伝わらない。それより一枚の写真のほうが正確に伝わるだろうし、映像のほうがさらに動きが正確に伝わり、もっと正確に伝えたいのであれば、360°の映像が使えればさらにいいだろう。言葉はその瞬間瞬間をとらえるメディアとしてはあまりうまくできていない。そのために僕たちは、その瞬間瞬間の出来事を分解して捉えることに慣れ、それ以上のことをしようともしない。一瞬にすべてを把握することは無理だと思う。その結果、そのような可能性に目をつぶる。

世界は一瞬ごとに変化している。宇宙から私は影響を受け、私も宇宙に多少の影響を与えている。私が宇宙の一部で、宇宙が私の一部である。その関係は一瞬ごとに変わっていくがそんなことには普段目をつぶる。『ホワイトホール・イン・タイム』では、そのことに目を開かせようとしている。

いったいどうやって?

それを20年前の僕は読み取れなかった。今回再読してやっと「ああ」と思う。内的視点と宇宙的視点を同時に持つことの可能性について知りたい方は、ぜひ読んで下さい。

文:宝生明

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