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『あいをよる おもいをつむぐ』を読みました。何年も前に代々木上原のキヨズキッチンで販売されていて、いつかうさとの服を買いたいと思っていました。なんか不思議な服だったんです。デザインがしっくり来なかったので買わなかったのですが、たいていは買わなかった服のことなんかすぐに忘れるものじゃないですか。ところがなんか心に引っかかっていたのです。何が心に引っかかっていたのかよくわからなかったんですけど、この本を読んでなるほどと思いました。確かにキヨズキッチンで氣がどうとか、感覚が大切とか、そんな話を聞いたような気がします。その頃の私は、そういう話の意味がわからなかった。

タイの布作りの話は感激しました。そういう視点で物造りしている人ってなかなかいないと思います。いまはお金が先、商品があと。お金の算段をつけてモノを作る。この考え方のいかに貧しいことか。いい商品があればお金は自ずとあとからついてくるもの。それを実現するための布作りがあり、服作りがある。オートクチュールの作り手だったうさぶろうさんが、どこにもない不思議な服を作りはじめたのには大きな意味があります。だから「う・さと」だというのがびっくりです。つまり宇宙の里だということ。宇宙の真理が編み込まれている服だというのです。スピ系が嫌いな人にはけちょんけちょんに言われてしまいそうですけど、それでいいんだと思います。そもそもそういう人は「いのちのかたまりのような服」って理解できないと思います。

最近東京ではあまり見かけませんけど、昔「みの虫」っていたじゃないですか。あの「みの」って服のようでしたよね。あれひとつが命の固まりだとしたら、服を来ている人間もやっぱり命の固まりなんだと思います。その服が、命のエネルギーをたくさん含んでいるかどうか、それってやっぱり大切なことなんじゃないかと思います。

この本を読んで、タイの人々との関わり、そこでおこなわれている布を通しての人々との対話、そして、資本主義的考えの押しつけではなく、小さな共同体をいかに育んで行くかという視点、そんなことにとても興味を抱きました。うさとの服をいつか買いたいと思っていましたけど、さらに欲しくなりました。でも、欲しいと思ってすぐに買うのではなく、私にぴったりな一着に出会うことを楽しみにして行きたいとも思いました。なにしろ一着の服を探し求めること自体に、生きる喜びがあるのですから。

文:ふう 


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