#

押田成人の『祈りの姿に無の風が吹く』を読んだ。この本の最初に「コトことばが開く世界」というエッセイが載っている。これを読んであぁあのことが書かれていると思いました。「あのこと」とは、僕がかつて1999年に『ヒーリング・ライティング』に書いたことでした。どんなふうにどんなことが書かれているのか、正確に説明はできないので、ここに長い引用をさせてもらいます。

__________________________

この花が施すもの

 今朝、私は目をさまして何か監獄に居るような気持になりました。夕べはここ湯河原のホテルに泊めていただきましたが、自由に僕が行ける所は、お風呂場だけでした。部屋にいれば、いろんな人が来ますしね。それで今朝は散歩したいと、とにかく山へ入って、ああって一息つきたかったんですよ。

 とろこが、このあたりではどこ行ったって道は宿屋にしか通じてない。それでさんざん歩きまわった果てに、バスに乗って奥湯河原にいきました。ここまで来れば山の道が有るかなと思ったら、ここで同じ事なんですね。最後にやっと、水道の源泉に行く道を見つけて、そこを歩きました。ほんの十分位でしたが、ホッとしましたね。施されたんです。

 今朝、その道で摘んだ花が、これであります。これが今朝のことなんです。出来事なんです。今から私はこの花のお話をいたします。

 この花、何だかご存じですか、これ、フランス語でクレッソンですよ。これを私達の地方では、馬ぜりていうんです。村の人に、ここには良いものが沢山あるね、って言ったら、なあんだ馬ぜりか、馬きり食わねぇ。冗談じゃない。東京の帝国ホテルへ行ってごらん、これ、チキンの料理には必ず付いてくる高いもんだよって言ったら、ヘェーなんて驚いたけど、土地変われば価値観も変わるんですね。これ、ことなんです。ことというのは何かある種の響きなんでしょうね。

 このことというのを漢字に直せば、事とも書くし、言とも書く。これは中国文化が意識化して文明化した時に、こういう二つの言葉に分かれたのでしょうが、日本語では両方とも、ことという。区別できないんですね。

 この花を見た時、私はハアーって息をしたんですね。これ、ことなんです、施されて、ほぐれたんですね。そしてやっと今日、お話しする気が起きたんです。このこと、これをことほぎっていうんですがね。

 ことほぎという時に、ある事を祝うとか、ある言葉で祝うとかいうわけですが、これはもうすでに理念ことばと私が呼ぶ、理屈の言葉の解釈ではないでしょうか。ことほぎっていうのは、ことそのものがほぐすんです。ことによってほぐされるんです。この花を見た時に、私は施しを受けたんですね。まさにこれを、ことほぎ、というのではありますまいか。

 今朝、私に施されたこの、ことほぎということを、もう少し極めていきますと、ものすごい言葉が聞こえてくるんです。それがコトことばです。

 何か原稿を書いて来て、それを読むっていうのは、すでにことじゃない。そんな講演会ならしなくたって良いんですよ。講演会に来て下さる人の顔を見ない内に、講演会の内容を書けるか。皆さんの顔を見て、どういうことになるのか、その場でなきゃあ、わからないでしょう。そういう世界に生きているんですね。そういう世界に施されているんですよ。

意識の世界から解放される時

 これね、すごく重大な事を話し始めているんですよ。現代の文明の危機の根源の問題であり、現代の教育の危機の根源の問題であり、コトことばの問題、つまり言葉とは何か、こととは何か、生きるとは何か、歴史とは何かということですね。そういうすべての根本問題に対して、あの花がヒントを与えてくれているんだ。

 私、去年の暮まで病院に入ってました。とてもそんなに見えないでしょ。退院した時に山へ帰ってもすぐに百姓をしてはいけないよと言われて、どうしようかなと思っていた時に、伊豆のお坊さんが、しばらく休みにおいで下さいと言って下さった。それで、二、三日休もうと思って、そのお寺へ行ったんです。そうしたらそのお坊さんが、神父さん、私は托鉢に行くんだが、ご一緒しましょうかって言う。ああ、そりゃ一緒に行きましょうといってでかけて行った。

 このお坊さんの托鉢は、鈴を鳴らして鉢を持って、笠を被って、ホー。まず、ホーだけなんだね。それから人が出てきた時にお経を唱えるわけです。三軒位まで一緒にやって、そのあと別々に行きましょうっていうことになったんですね。

 最初ちょっと困ったのは、さて俺は、どういうお経をやろうかなということでした。今のキリスト教の文句はバタ臭くてね、ちょっと托鉢の言葉にはならないんです。それで私のとこで唱えてるお祈りをちょっと変えて、托鉢したんです。一人になって、鈴を持って鉢を持ってね、ホーってやってんだね。で、最初の内は、オッ、誰か出てくるなとか、ちっとも出てこないなとか、誰か出てきた時、恥ずかしいなとか、いろんなことを考えるわけだ。お坊さんもはじめのうちは多分そんな事思ってたんだろうな。

 ところが、こちらがその恥ずかしさとか意識しちゃうような、そういうものを一切越えた境地でホーッとやってますと、やっぱり呼び出されるんですね。やおら紙にお金を包んで、上気して出てくるんですよ。そして、ハッ、ご苦労様です、ってこうして捧げるんだね。

 その時に、パタッと出会うんです。あの瞬間の出来事は、あの人も私も一生忘れない。それが出会いなんですね。有難い世界に施されるんです。解放されるんです。

 意識の世界から、有難い世界に解放される、これが、施しなんですね。そこは小さな漁村なんですが、それでも本当に施し施されるという有難い出来事が五つか六つありました。

 私達の修道会も施しの修道会ですから、乞食修道があるんですよ。ところが今は神学っていうのがある。そして貰ったものとか所有物に心が囚われない事、これが清貧である、清い貧しさだと教えるわけ。これ理念ことばによる説明なんです。こんなこと、いくら勉強したって、あの施しは分からない。いくらそうしなくてはならないと思ったって、施されない。嘘だと思ったら修道院の会計係のところへ行って、あなたはお布施に施されますかって聞いてごらん。きっと何のことかわからないよ。

 この施しということ、これは理念ことばの世界の事ではない。コトことばの世界なんですよ。私は只、ホーと言ってるんですね。だけどそれを聞いた人に、何か起こるんです。ことなんです。その出来事が語るんですよ。ことがあれば、必ず人間は施されるんです。それがことほぎなんです。

 人っていうでしょう。人ってなんですか。ひというのは霊ですよ。その息吹が留まるものを人っていうんです。そういう施しのところで、人は人になるんですね。

________________

なんとなくコトことばがわかったでしょぅか? コトことばと理念ことばを説明するとどうなるのか、僕なりにしてみました。

「言葉を発している人が、表現している何かとつながっている、関係があるという前提で発せられる言葉がコトことばであり、表現している何かとのつながりはなく、どう表現しようが発し手には何の影響もないというような前提で語られる言葉が理念ことば」。

「この花、きれいだね」というとき、「きれい」であるという表現を発し手は受け入れることで美しさに心動かされます。一方で、「この花は目立っている」というとき、その表現をしている人は、その花が目立っていようがいまいが影響されることはあまりない。だからそれは理念ことばになるのではないかと。そして、コトことばと理念ことばの境は言葉によって曖昧であるような気がする。

たとえば、「この花は目立つことで蜂を呼び寄せているね」という言葉。理念ことばに思えるけど、一方で発するときの心情によってはコトことばにしても良いような気がする。

拙著『ヒーリング・ライティング』では、このコトことばと理念ことばをどう表現したかというと、「言霊のある言葉」と、「道具として使う言葉」というように表現した。「言霊のある言葉」はその言葉の使い手が言葉によって影響される、そういう言葉であり、「道具として使う言葉」は使っている言葉の影響は受けず、表現している者と表現されているモノとの関係が薄い。

コトことばは、環境との関係が濃い言葉であり、理念ことばは環境をただ表現しているだけで、その言葉を発している発し手が、環境とは切り離された別の世界からものを言っているような状態なのだろう。

理念ことばを使っていると、自分とは関係ない何者かをただ操作するだけになり、自分自身に対する深い葛藤や疑念は生まれない。そのような言葉を使って教育された人間は、自分以外のモノを攻撃的に操作するばかりで、そこには深い反省も後悔による新たな行動も生まれては来ないのではないか? いっぽうでコトことばは、それを発する発し手が、常に起きていることと表現に責任を持ち、自分自身が世界の一端であるからこそ、いつでも世界に対して責任を持つ視点を手放さない。そんなことなのではないかと思う。

理念ことばを聞くのは些細な辛さを伴う。なぜなら発し手が世界から分離しているから。何事かを明確にして行けば行くほど、発し手は世界から切り離されていく。いっぽうでコトことばは、発したことばによって自らが表現されたり、感覚を鼓舞されたりする。しかし、コトことばだけだと、すべてのことが自分の視点ばかりになってしまうため、独善的な視点になってしまう可能性があるようにも感じる。

どちらにもいい点と悪い点があるように思う。いいバランスで使うようにしたい。

押田成人著『祈りの姿に無の風が吹く』amazonのページ

文 : つなぶちようじ

Blog : 水のきらめき

twitter : @yoji_t


コメント欄を読み込み中